木幡の幡祭り2024 日程とアクセス 概要や歴史について

イベント

今回は福島県二本松市木幡地区で毎年12月の第一日曜日に行われる「木幡の幡まつり」についてご紹介したいと思います。

重要無形民俗文化財に指定される、伝統を重んじた素晴らしいお祭りです!

華やかな幡行列は見ものですよ♡

日程

祭り名 木幡の幡祭り(こはたのはたまつり)
日程 2024年12月1日(日)8:00〜13:00(予定)
場所 福島県二本松市木幡住民センターグラウンド
住所 福島県二本松市木幡叺内65
MA
アクセス JR東北本線「二本松駅」から 車約20分

または、東北自動車道「二本松IC」から 車約20分

主催 木幡の幡まつり実行委員会
問い合わせ 東和観光協会(二本松市東和支所地域振興課内)

0243-66-2490

日程の詳細

7:30 幡集合(木幡住民センターグラウンド)
8:00 出立式(木幡住民センターグラウンド)
8:30 出立
10:30 胎内くぐり
13:00 隠津島神社(おきつしまじんしゃ)参拝

※出立式に続き、木幡温度踊り、幡競走、餅つきなどの関連行事が行われます。数年コロナ禍で規模縮小の為、しばらく行われていませんでした。

アクセス

JR東北本線「二本松駅」から 車約20分

東北自動車道「二本松IC」から 車約20分

電車を利用し、二本松駅からタクシーを使う方もいたようでした。

駐車場

無料駐車場

例年どおり、臨時駐車場が設けられると思います。

移動のあるお祭りなので、難しいですが目的地を定めて行かれるのであれば、近くの駐車場を確認しておいたほうがいいですね!

駐車場の位置が載っています。↓

引用:https://www.city.nihonmatsu.lg.jp

有料駐車場

二本松市安達駅東口広場駐車場

二本松市安達駅西口広場駐車場があります。

東口の方が駐車場が広く台数も多くとめられそうです。

《料金》24時間営業 30分以内無料 入出庫1時間あたり100円です。

スタート地点である、木幡住民センターグラウンドまで行くには、駅からタクシーに乗り行く方法になります。

駅から15分程です。

一応参考にまで。

山頂付近の駐車場

隠津島神社登山口(隠津島神社駐車場)

国道349号線川俣町不動坂付近より、林道「桜畑木幡線」を西に1km程入ったところ

登山口標高:520m  所要時間:山頂まで30分

まつりの概要

「木幡の幡まつり」は、豊作の感謝と成人儀礼を兼ねた祭りです。

福島県二本松市木幡に鎮座する隠津島神社(おきつしまじんじゃ)は木幡山の8合目に巨岩を背に鎮座します。

木幡山は古くから神霊が籠る山として「御山(おやま)」と称されています。農業を見守り、地域に暮らす若い男子が成人するのを見届けると信じられてきました。

木幡地区の方達は、先祖代々このお祭りを大切にし、950年余りにわたり受け継がれています。

総代の方も、何があっても「何が何でもやる!」「途絶えさせちゃいかん!」「祭りというもんは、続けにゃいかん!」という気持ちでやっているとのこと。

本当に思いが強い!!

福島の震災のときもやったし、コロナでも規模縮小してでも続けてきたと話されています。

震災の時も、ピンチに見舞われましたが、各箇所放射線量を計測して、少ないということで開催したとのことです。

このお祭りは、古くより儀礼を色濃く残していることもあり、平成16年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

素晴らしいお祭りです!

見どころ

五色に、彩られた百数十本の五反幡を持ち、桐の木で作られた法螺貝を響かせて、阿武隈の山間の道をぬって木幡山の神社をめざします。

華やかな行列は見ものです!

引用:https://omatsurijapan.com

規模縮小により、近年は幡の数は30本程です。それにしても、綺麗ですね!

このお祭りでは「フォトコンテスト」が毎年開催され多くの写真愛好家達が訪れ、陣地の争奪戦が繰り広げられるらしいです!!

※フォトコンテストについてはこちら↓

表彰
最優秀賞 1点 賞金3万円、賞状、副賞
優秀賞 2点 賞金1万円、賞状、副賞
入賞 2点 賞金5千円、賞状、副賞
佳作 5点 賞状、副賞

引用:https://towa-kankou.com

最高のポジションで撮られた写真、リアルな華やかさと、なんといっても行列に参加されている人の表情など伝わる写真だと、とてもいいですね!

大事な役目を担う権立(ごんだち)←(後ほど紹介)の緊張した面持ちの表情なども是非とも撮って欲しい!笑

さてさて、祭りの中でも一大行事である成人儀礼を紹介していきます。

成人儀礼

ここで主役となるのが権立(ごんだち)

※権立(ごんだち)とは、初めて祭りに参加する者をいいましたが、現在では18歳〜20歳ぐらいの者。

権立(ごんだち)として参加する者は、母親などが着た襦袢か赤地の着物を着て参加します。けがれを祓って一人前になれるとされ、必ず木を削って作られた「太刀」と「袈裟(けさ)」をつけることになっています。

引用:https://fukushima.keizai.biz

胎内くぐり

「おやまかけ」で行われる成人儀式のひとつで、権立達は宮司や総代と世話役人と共に本行列から離れて、険しい山道を登り「羽山神社」を目指します。

引用:https://www.fct.co.jp

羽山神社の少し手前に「胎内くぐり岩」があり、権立が「太刀」と「袈裟」を納めて、岩の間をくぐる「胎内くぐり」を行います。

その際、権立は小銭をくわえ、岩をくぐり終えると小銭を落としそっと拾います。

その小銭は羽山神社の参拝時に使うそうです。

引用:https://www.fct.co.jp

その後、「権立よばり」「食い初め」「参拝」行います。

「権立よばり」とは、くぐり岩の一段上の大岩にもう一人の先達が、副大将がくぐり岩の前に立ち、問答をします。

羽山神社に移動し、行われるのが「食い初め」と「参拝」です。

「食い初め」は胎内くぐりを終えたあと、現在は乳粥赤飯をご馳走様になります。箸を使わず、そのまま食べます。

「参拝」は「背拝み」「横拝み」「正面拝み」と3回行われます。本来は一年目に「背拝み」、二年目に「横拝み」、三年目にようやく正面を向いて拝むことができて成人として認められていました。

現在では一度に全ての拝み方をしています。

この様にして、木幡の男子達は儀式に参加して、大人の仲間入りを果たすのです!

権立達も、儀式に参加する時の顔はキリッとした表情でかっこいいです!

そして、成人儀礼を終えると、木幡山の山頂近くにある隠津島神社めざし、それから参拝し役目を終えます。

その頃には、幡行列の本体も到着し、隠津島神社の境内に参加者皆が集合して、祭りを終えます。

歴史

天喜3年(1055年)前九年の役に由来します。

平安末期、陸奥国(むつのくに)・ 出羽国(でわのくに)にて、陸奥国の俘囚(ふしゅう)と源氏との間に起きた戦争です。

※俘囚とは、朝廷の支配下にある蝦夷(えぞ)

※蝦夷(えぞ)とは朝廷に服従していなかった人々。

俘囚長として自立的に支配をおこなっていたのが安倍貞任(あべさだとう)という武将です。

この安倍貞任と国守が衝突しました。

後冷泉天皇の命を受けて、源頼義とその子ではある源頼家の率いる軍勢が陸奥征伐に出向きましたが、安倍貞任率いる軍勢に敗れて、わずか数騎で「御所平」というところにある農家まで逃れて、一夜の宿をとったそうです。

その夜、寝ているところ天女が夢枕に現れて「ここから東方一里ばかりあるところにある弁財天宮で祈願しなさい。」と告げられたといいます。

それから、源頼義、源頼家らは神社で戦勝を祈願しました。するとその夜、木幡山の南側に沢山枝をつけた杉の木があり、それにどっさりと雪が積もりました。

その頃、皆殺ししてやる!と意気込んだ安倍の軍勢達が向かってきていました。

すると、安倍の軍勢は杉の木に積もった雪を、源氏の白旗で山がいっぱいになり、軍勢が大勢いるかなように見間違い、戦わずして引き返してしまったのです。

源頼義達は、戦をせずに勝ってしまいました!

以降、神仏の加護を深く信じる里の人達が源氏の白旗になぞって五反旗を作って木幡山を練り歩き源氏の武勲をたたえ合い、これが今までに伝承されています。

そして、弁財天宮と称されている神社とは、隠津島神社(おきつしまじんじゃ)のことであり「木幡の弁天様」と呼ばれ親しまれています。

まとめ

木幡地区の地元の方達により、長きにわたり伝承されてきた「木幡の幡まつり」。

木幡地区の方達にとっては、歴史的に大事なお祭りです。

国の重要無形民俗文化財とだけあって、祭り内容にもとても興味を持ちました。

是非とも、興味を持ったお祭り好きの方!カメラ好きな方!お近くでご覧ください!

お祭りの情報が参考になれば幸いです。

 

 

 

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